近松門左衛門・原作「曾根崎心中」道行の舞台
大阪・お初天神

心中って二人の仲が実る結果なんだろうか?
ふたりの終わりでは無いのだろうか?
劇的で、あるがゆえに作者によって死して後世に名を残した、浄瑠璃世話物の
一連の心中話し。
事件の起こった元禄十六(1703)年四月七日から、こんにち21世紀に入った
三百年後のいま、大阪のビルの谷間の小さな神社に、ふたりが死のうと迄に
思い詰めた結果を、恋の成熟としてとらえ、多くの参拝者が訪れる。
生の終わりであっても、恋の別離で無いから成熟として受け入れるのが、供養
になるのかも、しれない。

吉本のうめだ花月から「お初天神商店街」を南に進めば突き当たりにあるのが、
露天(つゆてん)神社、通称、お初天神。
近松門左衛門が、ふたりの道行きに曽根崎の森と書いた森は当然、無い。



人形浄瑠璃の台本として書かれた「曾根崎心中」は、実際に起った翌年に上演
されたというから、よほど作者の創作意欲にビビっときたのでしょう。
芝居を簡単に説明すると、醤油屋に勤める真面目なサラリーマンが社長に努力
を認められて、うちの入れ婿になれってエラソーに言われて困ってしまう。
なんで困るかちゅーたら、勤勉真面目なこのオトコには一途に想う、お初ちゅー
オンナが居たんやねぇ、これが。



さぁ、困った。死ぬほど惚れた女やさかい、ゼニカネ積まれても次期社長の地位
が約束されても、ンなものは眼中に無いほど、この男・徳兵衛さんは一途にお初。
判ってやったらええものを、このシャチョーさん、そんならお前の借金を返して貰おう
その上に、お江戸の支店に転勤しろって無理難題を押し付けてくる。
さぁ、困った徳兵衛。
頭の中は悩むことで暮れるエブリディ。
早速、田舎に帰り育てのおばさんから、借金の金を無理やっこ取上げて帰る途中
物語は巧いと出来てます、金に困った友人が徳やん〜金を貸してくれへんか無ければ
俺は破滅するって泣き落とし。
そこまで巧い芝居をされたら、バカ正直に貸すのが物語の主人公が持つべき人間性。
そして当然の、ダマサレル結果が待っている。
金は無くなるわ、お江戸に転勤やわ・・・・もーー徳やんの脳裏はパンク状態。
もーーどないにもならん、ちゅー結果に成ると現代なら自己破産でなんとか逃れられる
けど、そんな結末やったら後世にナミダナミダの物語にはナリマヘン。

いっそ、ふたりで死んでくれるか、お初〜〜〜っっ!!
あいな、徳兵衛さまーーーっ!!
で、ふたりして夜の闇の中に手を取り合って曾根崎の森に消えるのでございます。

近松の七五調の名文句・・・

「この世の名残り、夜も名残り。死にに行く身をたとうれば、あだしが原の道の霜。
一足ずつに消えて行く、夢こそ夢の哀れなれ。
あれ数うれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘の響きの聞きおさめ。
寂滅為楽と響くなり」

余録ながら近松門左衛門の墓は大阪市内と兵庫県尼崎市のふたつがあります。
この画像は大阪市内のものですが、知らないと通り過ぎるような位置に有ります。


以前に書いた映画・曾根崎心中のことに関して書いたものを・・

「曾根崎心中」

南無阿弥陀仏を迎へにて 哀れこの世の暇乞ひ
   長き夢路を曾根崎の森の雫と散りにけり


義太夫が語る近松・曾根崎心中の幕引きだが増村保造の「曾根崎心中」を
ビデオで観た。
海外の注目で再評価されている増村は作家・三島由紀夫と東大法科の同期生
だったらしい。
私は残念ながら彼が多く作品を残した大映映画を、それほど観ていない。
それは何故かと考えると子供の頃の私には大人の世界に思える内容が多く
憧れるヒーローなる登場人物が赤銅鈴の助以後、取り上げられる場合が少な
かったからでは無いかと・・・・いまになって感じる。

曾根崎心中は1978年の低予算を覚悟した上でのATG作品になる。
お初に梶芽衣子、徳兵衛に宇崎竜童が演じ、映画でありながら舞台の動きに
近い雰囲気が感じられる。
増村独特の雰囲気も溢れている。
大映では馴染みの木村元も、お初の店の旦那役を無難にこなしている。
梶芽衣子は日活で太田雅子としてデビューし、妹も女優と確か記憶しているが
日活時代の彼女は女優として活きてはいない。
むしろ若い世代の頃よりも、三十路を越えて女の魅力が増す人だと思える。
勝新太郎と高倉健の共演作「無宿(やどなし)」では全体に仏映画「冒険者たち」
を感じるが、ジョアンナ・シムカスのように梶芽衣子が出ていた。
彼女の作品の多くには全裸なり部分的な肌の露出では代役と直ぐに判るような
シーンに冷めも感じるが素晴らしい女優には違いない。
機会が有れば、蜷川の近松物語で観たいものだが最近仕事はしていないのかな
観る機会が全く無くなった。

増村映像に関しては独特のネチッコサが感じられ好みが分かれるだろうが人間の
心理を吐露させる凄さは、やはり名を遺しただけはあると思える。
大阪の中心街となった曾根崎に、森も遠い昔にあったのかと驚くが、惚れた男と女の
道行が近松の筆により、ときの世間を騒がせて感動の舞台となったのを偲びながら
大阪の地を歩くのも感慨深くなるかもしれない。


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